はじめに

「苦しい状況にある高校生こそ東大を目指す価値がある」

これは私が思う東大受験の本質です。なぜ、そう思うのか。それは「人生を変えられるから」です。私は東大受験の前に直面した困難に一度は打ちひしがれました。一度は地方から都内への進学そのものに不安を抱えたこともありました。それでも、私は苦しい状況から抜け出すため、人生を変えるため、もう一度東大に向けて歩み出そうと決意し直し、今実際に東大に通うことができています。

この記事では「こうするべきだ」というような話はしません。その代わり、画面の前にいるあなたに、私の話を読み、「こんな状況でも東大は目指せるんだ」とか「自分ももう一度東大目指そうかな」とか、少しでも気づいてほしいのです。

申し遅れましたが、文科一類に所属しているI.W.と言います。どうぞ、よろしく。

東大を志望したきっかけ

小学生のころ、とあるドラマを見ました。じっくり見ていたわけではないのですが、ドラマでは社会を動かすある存在の姿が描かれていました。それは弁護士です。華々しく民事、刑事といった司法の分野で活躍するかっこよさに憧れました。そしていつしか、漠然と弁護士を目指すようになりました。特に、社会正義を実現したいとか、高尚な理由もない。ただ、憧れたから目指したに過ぎません。

高校生になると、自然と法学部を志望するようになりました。大学で司法試験の勉強をして弁護士となり、幼い頃に見たドラマのような活躍をしたいと夢見ていたのです。実際、それを実現するために模擬裁判などに参加して法曹になるためのステップを踏んでいました。

私が通っていたのは一般的な地方の公立進学校で国公立大学や難関私立大学を目指す生徒の多い学校です。もちろん、東大や京大の志望者も多く存在し、学校の先生も強力に受験を勧めるような文化がありました。私の成績は学年内30位より少し後ろの方ぐらいで、東大を目指すなどといった考えはこの時には存在せず、法曹を多く輩出しているという漠然としたイメージで一橋大学を第一志望にしていました。

しかし、これには問題がありました。

それは私の数学の成績が悪かったことです。一年生にして学校の定期テストの平均点を下回るような成績で、明らかな苦手傾向が認められたのです。一橋大学は数学の出題傾向に癖があり難易度が高く、志望したいのに相性が悪い、という大学でした。これを見かねたのが当時数学を教えてくださっていた担任でした。高校一年生の夏にあった初めての三者面談。その中でこんなことを面談中に言ったのです。

「数学の問題がシンプルでまだ分かりやすい傾向がある東大を志望しても良いんじゃないか?」

私は正直、何を言われたのか分かりませんでした。同席した母親も同じことを感じたようです。「難易度が前より上がっていないか?」と思ったのです。しかし、後々考えれば理にかなった選択でもあると思いました。自分が好きな歴史二科目を使え、得意だった英語も多様な問題があり得点源として利用しやすい(一橋大学はリスニング試験を数年前に廃止して筆記に問題傾向が偏っていた一方、東大はリスニング問題を維持し続けバランスの良い出題をしていました)、そして何より数学の配点は国公立にしてはまだ低い方だというところなど(シンプルな傾向かは分かりませんが)様々な利点があることがわかったのです。

この言葉を受けしばらく考えましたが、担任の勧めで行った県の東大セミナーというイベント(FairWindと県が共催したイベントでした)に参加して興味を持ったことや、先ほど書いた模擬裁判のメンバーの中に東大志望がいたこと、また私の好きなアーティストが東大卒でその人と同じ環境で学んでみたいという理由も後押しとなり、一年生の終わりぐらいには模試でも東大を第一志望に変えていました。

自分が抱えた困難と戦う

私の環境が一気に変化したのは高校二年生の春休みに入る少し前、受験まで後一年弱ぐらいの時です。友達とコーヒーショップで勉強していた時に一本の連絡が入ります。父の訃報を告げる電話でした。特段体調が優れない訳でもなく、老化は少しずつしていたがまだまだ現役で働ける、そんな様子でした。

その後のことを私は鮮明に記憶しています。受験勉強をするはずの春休みの二週間は葬式の準備や身辺整理に消え、心身ともにすり減らして過ごしました。おそらく自分の人生18年間の中で一番きつい時期だったでしょう。勉強しようとしても「この後の人生どうなるんだろう」という不安が常に付き纏って、手がつきませんでした。いくら努力しても、金銭的な問題は自分一人でどうにかなる問題ではありません。「自分が今まで親に学校に行かせてもらい、教育環境を整備してもらっていた」という当たり前だと思っていた「親のありがたみ」は、皮肉にもその存在がいなくなってから気づかされるものです。自分はこの後大学に行けるのか、進路実現なんて無理なのではないか、という絶望感やその現実に対して何もできない無力感。その苦しさは父の葬式が終わり、学校生活に戻るまでずっと続きました。

ただ、私にとっては学校が心の支えになりました。友人になんと切り出せば良いだろう、と考えながら教室に行くと、いつも会っていた仲間が何事もなかったように、いつものように話しかけてくれました。先生は私の事情を知っていたので、私に言葉をかけ励ましてくれました。当時の私にとってはそれがどれだけ嬉しいことだったか。何も変わらない日常が自分にやっと戻ってきたという実感が湧き、一人じゃないんだ、絶望する必要もないな、と思えました。そこで初めて自分は前を向くことができました。もう一回東大を目指そうという気持ちになれました。

特に模試の成績も良い訳じゃない、家庭状況も急変した、それでもこの現状をどうにか変えてみせる。東大受験は今までの夢を叶えるという意味に加えて、人生を逆転するという決意も加わったものになりました。大学に通うために奨学金に応募したり、都内の県人寮に応募したりして、なんとか都内に住む用意を整えて、大学受験に臨みました。最終盤ではひたすらに自分が持った夢を追いかけて、自分の苦しい状況も一度忘れて、全力で受験勉強にぶつかれたと思います。

試験本番。感触的には英語でだいぶ失敗した気がしていて、正直無理だったかという気持ちもありました。予備校などの負担も考えて浪人はせず、もし東大が無理なら私立に行って奨学金に追加で応募するしかない、と考えていました。合格発表の瞬間も、私立の入学準備をしながら迎えた程です。正午になり、東大のホームページに張り出された合格者の番号一覧。

「まあ、無理かなー。運が良ければ良いなー。」

そんなことを言いながら見ていると、途中でスクロールが止まりました。私は自分の目に映ったものが信じられませんでした。

「あった」

最初はこの三文字しか発せなかった。それでも何か、心の奥底から沸々と込み上げてくるものがあった。やっとこの一年間でしてきた数々の苦労が報われた、そんな気がしました。金輪際、この瞬間を忘れることはないでしょう。かつて目指していた東大生になった今、時々大学に通学する電車待ちをする駅のホームでこんなことを思います。「あの時、諦めないでよかった」と。

おわりに

私はこの文章で「やる気があればなんでも打開できる」ということを言いたい訳ではありません。私も友人や先生の助けがなければ最終的に東大に合格することはできなかったと思いますし、人の環境はそれぞれ違うので乗り越えなければならない壁の高さに個人差もあるでしょう。もちろん私よりも辛い、苦しい状況にある受験生も大勢いるはずです。

それでも、今この記事を読んでくれている人の中に、自分の置かれた環境に悩み、東大を受けるか迷っている人がいるなら、東大を受験することを、私は諦めてほしくない。だって、東大はあなたが人生を逆転させられる場所だから。私は東大にきて数多くの新たな友人に出会い、新たな世界に触れました。同じように法曹を目指す同級生や、高校とは大きく違う学びの環境。先ほど書いたアーティストと同じサークルに入り、ギターという新たな趣味も増えました。毎日が未体験の連続ですが、それがどうしようもなく楽しく思えるのです。一年前に諦めていたら手に入らなかった環境がここには、間違いなくあります。地方から見える一筋の光を頼りにして、あなたにもこの東京大学に辿り着いてほしいのです。また東大に合格することができなかったり、東大を受けることを諦めたりしたとしても、そこで挫けずに次の光を力強くたぐって新たな世界で進んで欲しい、そう思います。

最後に私の好きな言葉を記事を読んでくださったあなたに贈ります。

Where there is a will, there is a way. (意志あるところに、道は開ける。)

苦しい状況下においても、自分の意志のもとに、地方から東大を志望して受験する皆さんの合格を、東京大学の末席に連なるものとして、心より祈っています。